正法の歴史

正法の歴史

正法というものについて『天国の扉』(未来への幸せをめざして)で説明を致しましたが、これを新しい宗教と取る方もありましたので、これは実は初めに信仰形態として、次いでは思想、哲学として、そして再び宗教の形を取ったものであること、およびそれの長い歴史があることをお知らせしなければならないと思いました。

私自身も学んでみて驚いたことですが、この教えは、遠くおよそ3500年前に遡り、古代ギリシャのデロス島に生まれ、宗教活動に一生を捧げたアポロ(アポロン)という宗教家(〝己れを知れ〟 と説いた有名なゼウスの子)により、その修業と悟りから生まれた教義なのです。 

この教義は、〝生命は永遠不滅のものである〟 と、〝人間は生老病死を経て魂の転生に入る。すなわち生きて、病いを経るか、老いて死ぬという人間の一生の自然の成り行きがあり、その死の境を越えると、そこに魂の永遠不滅が始まり、その永遠の時の中でいろいろな人に転生、生まれ変わり、死にまた生まれ変わるという過程を転生輪廻という〟 と、この二つで成り立っているのです。

この教えは正法とは呼ばれませんでしたが、広く宇宙の視野に立ち、宇宙も人間個人もその構造が同じである、という原理が等しく適用され、この思想は、その後ギリシャの植民活動により小アジアのイオニア植民地に、2600年前に伝わりました。それを遡ると、古くは4500年前の古代エジプトの神話、信仰形態に、ギリシャの教義と同じもの(霊魂の不滅、永遠の生命)を伝えていることが知られています。(1万年前のアトランティス大陸にも、霊魂の不減の思想が存在しました)この教義は、エジプトからギリシャ、そして小アジアへ、小アジアからペルーへと伝わり、あるいはギリシャからインドへと伝わったのです。 

そこで初めてダルマ(法)と呼ばれ、この法によって因果、因縁に基づく人々の生死の法則を、宇宙の法則に照らして、正しくブッタ様により、説き明かされました。(約2500年前)生老病死の苦しみを乗り越え、永遠の生命を死後に得て後、転生輪廻をくり返すというエジプトの信仰がギリシャを経て伝えられ、カースト制度に支配されたインドにおいて、成就され得なかった階級平等の思想がブッタ様の教団においてのみ実現され、この教義の大きな恩恵となったのです。

ブッタ様が80歳で死なれて(入滅)後、その教えが途絶えるかと思われましたが、紀元前386年頃までかけて、十大弟子の一人、マーハー・カーシャパと女弟子の一人、マイトレーヤー(紀元270年頃インドに弥勅菩薩として転生)がその教えを努力して広め、およそ150年後に、史実に有名なアショカ王が在位の終わり頃(紀元前230年頃)ブッタ様の法に帰依し、法を用いた統治を行って、その教えを国全体に広めました。

王の法とは、慈悲と愛を以て平等の理念の下に民を治めるというもので、初めて王が仏教を政治に導き入れて善政をしいたのです。そしてその保護の下にインド各地に広がり、アショカ王の死後、大乗仏教、小乗仏教という大きな二つの流れに分かれ、カニシカ王の代に至って、西方に大きく発展しました。

大乗仏教は、紀元後に中央アジアを経て中国へ、中国から朝鮮、そして日本へと伝わり(紀元538年)、北伝仏教とも言われています。小乗仏教は二十くらいに分かれ、部派仏教と呼ばれましたが、セイロン、ビルマ、タイ、カンボジア、ラオスに伝わり、これらの派は南伝仏教と言われます。 

またもう一つ大乗仏教からは三流派に分かれましたが、比較的大きな流れとして残ったのが密教で、これはその起源をブッタ様のお子様のマーハー・ラーフラに遡ります。これが7世紀にインドに広まり、ラマ教としてチベット、モンゴルに伝わり(8世紀ごろ)、また他方中国を経て日本にも伝わりました(紀元805年)。 

この密教における即身成仏の思想が人々の関心を誘い、安易な方法でも仏になれるという誤った考えが、それから枝分かれした法華宗派の急進的なものにまでも人気と熱を呼び、次々と新興宗派を作って行くのです。仏の境地というものは静けさの象徴と悟りによって代表されると見てもよいと思うのですが、儀式さえ踏まえればよいと悟りや静けさとあまり関りのないようなものまでが蔓延りました。

禅宗も仏教思想に基づいた教義で、実践主義に基づく悟りがその主なるものです。これはインドに古くから伝わる精神集中の実践で、ブッタ様も禅に入って悟りを開かれました。禅は原始仏教以来その重要な業の一つとされ、仏教以外でもインド全般に広く採用されて、ヨーガ学派から諸学派の真理体得のために用いられ、また中国では天台宗派に取り入れられ、止観として盛んに実践されて、天台華厳の学問に裏付けられた後、禅宗として独立した一派が生まれています(8世紀の初め)。

このように、ブッタ様の手によって仏教の体系と流れが形作られましたが、光の大天使、光の大指導霊、光の天使の転生はそれに留まらず、アラビヤの予言者マホメットをしてイスラム教の創始者とならしめ、多神教を否定し、唯一神アッラーの前における平等を唱えさせました。ガブリエル大天使の啓示による神託が大部分で、誠実に多くの神託を伝達したと伝えられています。 

イスラエルにおいてはユダヤ教に始まるキリスト教への枝分かれ、すなわち、人類の祖アダムとイブからカインとアベルの物語へ、ノアの箱舟の物語、バベルの塔の物語、ユダヤの父アブラハムとその子イサク、イサクの子ヤコブの12人の子供、それが十二支族の族長となりエジプトにヤコブと11番目の息子のヨセフとその一族が移住、他は東南アジア、アジアの国々(日本を含む)へ移動し、そしてキリスト教の歴史はこのヤコブ一族の子孫のエジプトにおける苦難の歴史から始まると言ってよいでしょう。 

そして最後の移住後間もなく、飢饉を知らせてエジプトの危機を神の啓示で救い、エジプト全国の司となったヨセフが死に、その時のパロも死んだので、新しいヨセフのことを知らない王(パロ=ファラオ)によって子孫が多く増えすぎたヤコブとヨセフの一族、すなわちヘブル人は奴隷とされ、紀元前13世紀ごろモーセ様がその中から生まれます。ヘブル人(イスラエル人)の男子は殺すようとのパロの命が下されていたので、出生を隠すため、母親の手によりナイル河に流されますが、それをパロの娘が拾い、王宮で育てられます。成長して後神の召命を受けてこの捕囚の民ヘブル人を紅海を渡り、アラビヤ半島へと救い出されるのです。

そして約束の地カナンを目指して行く途中、シナイ山に至り、神ヤーウエ(エホバ)より十戒を啓示され、それをヘブル人に守らせ、これが後のユダヤ教の律法となり、旧約の経典の骨子となりました。 

モーセ様とへブル人達は40年を費してヨルダンの東まで行き着きますが、そこで不幸にも モーセ様は、老齢と重い任務の疲労から目的地を前に亡くなられました。 

その後もいろいろな歴史の変転があり、いわゆる旧約の時代に多くの予言者が出て、人類の救世主イエス・キリストの誕生を予言するのです。

そしてアブラハムの43代目の子孫ヨセフから、予言にしたがって、救世主を信じるユダヤ人が待ち望んだイエス様が生まれられます。

ユダヤ人(へブル人―イスラエル人)の大半はイエス・キリストを認めず、モーセ様を始祖としてユダヤ教を伝承しましたが、神の啓示、予言、奇跡を信じたイスラエルに住む人々はイエス様と共に神の福音を信じ、それが今のキリスト教として長い苦難と栄光の歴史として残されているのです。(キリスト教に関する物語、史実は旧約、新約聖書に記載されております) 

日本に移住したアブラハムの孫十二支族のうちの二つの流れは日本で神道として、 天照大神を祖とし、継承されて来ました。

これら歴史の流れを伝えて来ますと、宗教、宗派と言われるものは数え切れぬほどありますが、枝分かれしたもの、発生源が別のところからであるもののそれらを辿れば一つに帰るのです。

すべて天上界、天国、人々に死後の希望を与えられている神の国、ブッタ様他、諸仏のいられる極楽浄土、そこから啓示があり、預言があり、神託があり、善霊の導きにより、一つの法、すなわち宇宙を支配する法則であり、大自然の法である万物の生命が一つの法則の下に輪廻していること(生から死へ、死から生へ、無から有へ、有から無へと廻り廻っていること)、それを人類は長い歴史を通じて証されて来たのです。 

(天と地のかかわりの歴史 『天国の証』第8章 正法および用語解説 千乃裕子より)

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